教員インタビュー
Interview : 6th Studio / Design Prototyping
第6研究室 / 長濱雅彦教授
1962年生まれ。1987年東京藝術大学大学院美術研究科修了。1987年に日経マグロウヒル(現・日経BP)の『にっけいでざいん』(現・『日経デザイン』)記者として、企業のデザイン戦略や国内外デザイナーを取材。1990年に独立し、長濱デザインオフィス設立。照明器具や住宅設備機器のデザイン制作開発を行う。主な仕事にPRGR(プロギア)ゴルフクラブ一連のデザイン、ボーイング737トイレユニットのデザインなど。グッドデザイン賞など受賞歴多数。共著に『高等学校芸術科教科書工芸Ⅰ、Ⅱ』など。2002年より准教授、2015年より現職。
――デザインとは?
美観を損なうことなく「単純化」することと考えていますが、そのために現実の向こう側にまわりこむことが重要ですね。現実は様々な事物が絡まっているので、いくつかの要素を取り除いて単純化する。ちょっと先の世界から、現実を俯瞰することがデザイン学の面白いところです。
数年前、人の後ろに自動で追従する物流用の台車ロボットのデザインをしましたが、そのとき最初に制作したのは、台車のデザインではなく映像でした。先にひとつの世界のイメージをつくって、その世界を伝えれば、エンジニアなどすべてのつくり手が一体になれる。こうした可視化も単純化の1つの手法です。現実に「モノのデザインの前にイメージアニメをつくってください」という仕事が増えています。
――個人の活動として何をしてきましたか。
藝大を出た頃、当時のインダストリアルデザイン、つまり企業の大量生産による製品のデザインに疑問を持っていて、気持ちが萎え、どこにも就職できなかったんです。ところが、日経がデザイン情報誌をつくるので、デザインを勉強してきた人を採用したいということで機会をもらって、社長インタビューなどジャーナリストを4年くらいやりました。その経験はとても大きかったですね。当時、企業の社長や課長といった人たちはデザインのことをまったく理解していなかった。デザインを表層のスタイリングくらいに思っていて、もう少し社会を変えるようなスタンダードをつくりだしたいと思い、デザイナーとして独立しました。
それからはまさに「口紅から機関車まで」、というかんじでスポーツ用品から、化粧品のパッケージ、飛行機の仕事までいろんな工業品をデザインしてきました。
――研究室の活動として何をしていますか。
デザインとエンジニアリングの融合に関心があって、10年ほど前、東京工業大学理工学研究科の中本高道先生とともに感覚の複合研究として、匂いと音と映像によってカレーの調理を疑似体験するシステムをつくりました。今はロボットベンチャーのZMP社と民生用ロボットの研究をしています。プロダクトデザインの研究室としては、先端技術との連携は常に意識しています。
学生の教育に産学連携的要素を取り入れたものとして、これは学部1年生の課題なんですが、エース株式会社と共同で「モチハコブカタチ展」という展覧会をもう8年やっています。鞄という名詞ではなく、持ち運ぶという動詞で考える課題で、人間の移動行為に着目したものです。
――学生にどんなことを望みますか?
大学で工業デザインの歴史を研究していると、ホモ・ファーベル(道具を使う人)という時代は過ぎ、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)の時代がきている感じがしています。例えばゲームに夢中な現代人は安全な社会に暮らし、遊びが生活の中心、といえるのではと。実際大手家電より任天堂に憧れる学生が多い。ですから、学生にはもう少し遊ぶ時間を持つことを勧めています。みんな真面目でいい子が多いので、実は遊びにオリジナリティがない。そういう意味でも研究室には、生活を楽しむ感覚を持った、行動的で手足が動く人に来てほしいですね。見たことのない元気な作品をつくってくれるといいなと思ってます。
――幸せとは?
人間は道具を発明し、自然の矛盾に抗ってきたわけですが、現代社会の暮らしは問題を解決する機能性だけでは満たされません。それぞれに抱く個々の「欲望」と「機能」が融け合ってはじめて心地よい世界が生まれ、満たされた幸せな気分になる。そう考えると幸せとは快適、便利なだけではだめで、そこに心のよりどころ、精神性が共存しなくては片肺ということになります。低成長な時代、昔風に言いえば、野暮ではない、粋な哲学に幸せのヒントがあると思っています。デザインの仕事もそのあたりがとても難しいですが、肝に銘じなければいけない点です。
(取材・構成:小林沙友里)